2012年10月18日
もの心ついたころ
1.遠い記憶の中から
大きな物体が、私の目の前で止まった。
まさしく生まれて初めての光景である。
まだ舗装されていない道路に、私は横たわっている。
おでこをぶつけたらしい。たんこぶができていた。
知らないおじさんが、とても怖い顔をして、私を抱きかかえ、
『ばっか野郎、大丈夫か!』
すると祖母が血相を変えて走ってきて、
『この子が死んだら、私も死ぬ~!』と言いながら、
私をむんずとつかんで、おいおい泣きだした。
記憶はここまで、そのショックで記憶をなくしたわけではなく、ただ小さかったから。
後から父親に聞いた話だが、
『間一髪セーフだったらしい。あと1メートル、いや、あと1秒ブレーキを踏むのが遅れたら、お前は今ここにはいなかったな。』だそうだ。
それは私の家の前を通るバスで、当時沼津市では初めてのゴルフ場で働く人たちを送り迎えしていた。
『うっそッ!やばかったじゃん。』
『バスの運転手も、真っ青だったってさ。』
『僕が死ななくてよかったねえ、へへへ。 だからなんか買って。』(意味不明だが)
おふくろのげんこつをくらったのでした。
このことが結構強く記憶に焼き付いている。
目の前で止まったタイヤを見たような気になるのだが、後から脳みそが作った光景なのだろうか。
2~3歳ぐらいのときだと思う。
私はこのころから祖母に昼間は子守されていた。
母親は近所の鉄工場の事務員で働いていた。
祖母だからやりたい放題で、わがままなどうしようもない子だった気がする。
春の暖かい日のこと、
タンポポが咲いている芝生で、小さい蜂のようなやつが飛んでいる。
蜜蜂とは違っていて、もう一回り小さく、弱そうな感じがした。
捕まえようという生まれて初めての感覚。
そっと近づき、はっと手で捕まえた。
やった!と思った瞬間、これも生まれて初めての感触。
チクッ!
ギャーと大泣きしたのは言うまでもない。
あるお祭りの日、家の前にお神輿が置いてあった。
これはいいチャンスと、親父はお神輿の前の担ぐときに肩にあてる部分の間に私を置き、写真を撮ろうとしている。
『ええ~ん、ヤダよ~う。』
『大丈夫だから、ここに立ってろ。』
『ヤダあ~。』
大泣きし、どうしても中に入ろうとしない。
『しょうがねえなあ。』
仕方ないので、お神輿の側面でばあちゃんの手を握っての記念写真。
だって、なぜかって、どこかに連れて行かれるような気がしたんだもん。
誰かというと、お神輿に。
兄弟は、姉さんだけ、いつも後ろにくっついていた。
時々邪魔にされたけれど、お構いなし。
姉さんがどこかに友達と遊びに行く時も、
『ぼくもいく。』と言ってくっついていく。
『あんたは、家にいなってば。』
『ええ~ん』と言えば、
『久美子、一緒に遊んでやんな。』(久美子とは私の姉です。)
『まったくもお!』
『えへへ。』とこんな感じですかね。
はじめて家に置いてきぼりにされたときは、捨てられた気がしたなあ。
そんな幼少期をすごしたわけで、とにかくわがままで、ばあちゃんに甘やかされて、すくすくと育ったのでした。
行動範囲は極端に狭く、家の敷地が私が一人で動ける世界。
この世界を自分勝手に支配しているつもりで。
母親という強敵に見つからないようにしながら。
草いきれ、お日様の日差しの匂い、乾いた土の香り
ここまで書いた遠い記憶のすべてに、これらの匂いがついている。
懐かしいというよりも、頭の周りを纏わりつくような感覚。
蜂(みたいなやつ)に刺された時の光景と匂いは、特に鮮明に蘇る。
大きな物体が、私の目の前で止まった。
まさしく生まれて初めての光景である。
まだ舗装されていない道路に、私は横たわっている。
おでこをぶつけたらしい。たんこぶができていた。
知らないおじさんが、とても怖い顔をして、私を抱きかかえ、
『ばっか野郎、大丈夫か!』
すると祖母が血相を変えて走ってきて、
『この子が死んだら、私も死ぬ~!』と言いながら、
私をむんずとつかんで、おいおい泣きだした。
記憶はここまで、そのショックで記憶をなくしたわけではなく、ただ小さかったから。
後から父親に聞いた話だが、
『間一髪セーフだったらしい。あと1メートル、いや、あと1秒ブレーキを踏むのが遅れたら、お前は今ここにはいなかったな。』だそうだ。
それは私の家の前を通るバスで、当時沼津市では初めてのゴルフ場で働く人たちを送り迎えしていた。
『うっそッ!やばかったじゃん。』
『バスの運転手も、真っ青だったってさ。』
『僕が死ななくてよかったねえ、へへへ。 だからなんか買って。』(意味不明だが)
おふくろのげんこつをくらったのでした。
このことが結構強く記憶に焼き付いている。
目の前で止まったタイヤを見たような気になるのだが、後から脳みそが作った光景なのだろうか。
2~3歳ぐらいのときだと思う。
私はこのころから祖母に昼間は子守されていた。
母親は近所の鉄工場の事務員で働いていた。
祖母だからやりたい放題で、わがままなどうしようもない子だった気がする。
春の暖かい日のこと、
タンポポが咲いている芝生で、小さい蜂のようなやつが飛んでいる。
蜜蜂とは違っていて、もう一回り小さく、弱そうな感じがした。
捕まえようという生まれて初めての感覚。
そっと近づき、はっと手で捕まえた。
やった!と思った瞬間、これも生まれて初めての感触。
チクッ!
ギャーと大泣きしたのは言うまでもない。
あるお祭りの日、家の前にお神輿が置いてあった。
これはいいチャンスと、親父はお神輿の前の担ぐときに肩にあてる部分の間に私を置き、写真を撮ろうとしている。
『ええ~ん、ヤダよ~う。』
『大丈夫だから、ここに立ってろ。』
『ヤダあ~。』
大泣きし、どうしても中に入ろうとしない。
『しょうがねえなあ。』
仕方ないので、お神輿の側面でばあちゃんの手を握っての記念写真。
だって、なぜかって、どこかに連れて行かれるような気がしたんだもん。
誰かというと、お神輿に。
兄弟は、姉さんだけ、いつも後ろにくっついていた。
時々邪魔にされたけれど、お構いなし。
姉さんがどこかに友達と遊びに行く時も、
『ぼくもいく。』と言ってくっついていく。
『あんたは、家にいなってば。』
『ええ~ん』と言えば、
『久美子、一緒に遊んでやんな。』(久美子とは私の姉です。)
『まったくもお!』
『えへへ。』とこんな感じですかね。
はじめて家に置いてきぼりにされたときは、捨てられた気がしたなあ。
そんな幼少期をすごしたわけで、とにかくわがままで、ばあちゃんに甘やかされて、すくすくと育ったのでした。
行動範囲は極端に狭く、家の敷地が私が一人で動ける世界。
この世界を自分勝手に支配しているつもりで。
母親という強敵に見つからないようにしながら。
草いきれ、お日様の日差しの匂い、乾いた土の香り
ここまで書いた遠い記憶のすべてに、これらの匂いがついている。
懐かしいというよりも、頭の周りを纏わりつくような感覚。
蜂(みたいなやつ)に刺された時の光景と匂いは、特に鮮明に蘇る。
Posted by 宮代 良浩 at 07:00│Comments(0)
│私の本